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昭和の日本で仕事の足を務めていた三輪自動車は独特の温もりを感じる

三輪自動車の原点と言えるのは、やはりベンツのモトールヴァーゲン

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COBBYは車のサイトなのですが、車好きなら車のことは何でも知ろうと、今回は車の起源にまでさかのぼり、三輪自動車について調べてみたので記事を執筆しました。
3つの車輪で走る三輪自動車は、まさに子供用の三輪車を大人向けに応用させた乗り物と言える。前にある1つのタイヤはハンドルを回して方向を切り替える時に使い、後ろにある2つのタイヤが駆動に生かされているのが特徴。その起源は1886年にさかのぼり、ベンツが世界で初めて開発したベンツ・パテント・モトールヴァーゲンという内燃機関と大きな直径の三輪で動いた車が当てはまる。

戦前から日本国内で活躍していたマツダオート三輪ダイハツ号HB型・くろがねの軍用サイドカー

日本で初めてとなる三輪自動車は、1902年に銀座で発売され同じ頃に大阪が前に2つ、後ろに1つの車輪を搭載してアメリカ製のエンジンを載せたものが当てはまる。現在のマツダこと東洋工業は1931年に「マツダオート三輪」を、のちにダイハツとなる発動機製造も1932年に「ダイハツ号HB型」を、そして日本内燃機製造は日本陸軍サイドカーとなるように、くろがねブランドの軍用サイドカーを開発した。

戦後から庶民の間で活躍していたオート三輪は、とにかく人間の役に立った

戦争が終わって何もない日本では、「オート三輪」という三輪の貨物自動車を用いた配達や石炭採掘などを行っていた。やはり四輪車に比べると格段に小回りしやすくて値段も安く、何より荷物をたくさん積載できて悪路にも強いので、たくさんの人から重宝された。ちなみにエンジンは空冷単気筒ないしV型2気筒だったが、これ以上温度が上がらないようにするための冷却ファンなどを取り入れて、ますます四輪車に差を付けた。

特に注目を集めたダイハツ・ミゼットも忘れてはならない

オート三輪が市場に出場してから1950年代に入ると、軽自動車規格の三輪自動車が続々と登場した。現在でも軽自動車産業に全力を注いでいるダイハツは、1957年に「ミゼット」というオート三輪を開発した。これは大量生産と低価格販売が趣旨となっていて、分割払いでも購入できる、空冷249cc単気筒エンジンを搭載、軽便性に優れていることが売りとなって、大ヒットを記録した。ちなみにミゼットは、「街のヘリコプター」というキャッチコピーでますます有名になり、1996年になると四輪車の軽貨物自動車・ミゼットⅡに発展した。

オート三輪の登場によって軽3輪トラックブームが巻き起こった

昭和時代を支えてきたオート三輪は、どんどん市場に現れて一種のブームを引き起こした。大宮冨士工業からは「ダイナスター」、光栄工業からは「ライトポニー」、ホープ自動車の「ホープスター」など続々と新しいものが開発されたが、やはり先ほど紹介したダイハツ・ミゼットには追いつけない。なお、3輪トラックブームは1960年代になると完全に終わってしまった。

ドライブに使える乗用車へ進展した実績もある

三輪自動車は荷物をたくさん積んで運ぶトラックのイメージが強いが、前方にエンジンを備えたボンネットがあって、ドライブにもふさわしい普通の乗用車にもなったことをお忘れなく。1950年前後にダイハツが「Bee」という三輪セダン車を開発し、続いて富士自動車が前2輪、後ろ1輪のフジキャビンを開発したが、道路交通法の改正や部品の破損が生じたため、残念ながらたった2年で製造終了してしまった。

映画やアニメにも登場して、その存在感をアピール

今回のテーマである三輪自動車及びオート三輪は、現在の道路では全くの皆無と言っていいほど見ないが、昭和の下町を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」、サザンオールスターズ桑田佳祐が監督を務める「稲村ジェーン」などの映画や、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という漫画や「となりのトトロ」「コクリコ坂から」などのジブリアニメーションにも登場して、当時活躍していた様子を醸し出している。

これだけ人の役に立っていたのに、なぜ衰退してしまったのか

1950年代から60年代まで活躍していた三輪自動車は、最盛期以降から徐々に衰退していった。そして現在ではもう姿を見ることは皆無で、毎日道路には四輪の車が行き交っている。三輪が衰退した理由は意外と簡単で、小回りが効くけれどしっかりと安定しなくてひっくり返りやすい、免許制度を含む法律が変わって三輪を運転する時も免許を取らなきゃいけなくなった、そして安価な四輪軽トラックが次々と出てきたため、とうとう三輪自動車は廃止になったのだ。

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最新技術を駆使して、三輪自動車は平成によみがえった!

これまで紹介してきた三輪自動車は、昭和の日本に貢献してきたことがひしひしと伝わってくる。現在では全く姿を見なくなったが、実は平成の時代に入っても「日本エレクトライク」という会社が最新電気モーターを搭載して、近場をちょこちょこ走り回るのにこだわった三輪自動車を開発した。これは荷台に荷物を載せて運ぶ業者にとっては、普通のトラックよりも楽でありがたい乗り物となる。