戦前から血のにじむような研鑽をしていたBMWの歴史を振り返る
元々BMWは、航空機エンジンメーカーだった
Featured Aircraft | 2010 Pilatus PC-12 | A beautiful #aircraft that has all the options. A striking paint job and BMW Group Design Interior make this #turboprop stand out on the ramp! https://t.co/W7H7K8RQxQ #AircaftSalesUS #AvGeek #Aviation #Airplane #BizAv #Pilot #Fly pic.twitter.com/SlxAQAQcFz
— AircraftSales.US (@AircraftSalesUS) 2019年1月16日
世界中で有名なドイツの自動車メーカー・BMWは結構歴史が長く、1916年に飛行機に欠かせない航空機エンジンメーカーとして誕生した。この頃は航空機飛行速度を上昇させるためのプロジェクトを起案して、独自のジェットエンジンを開発した。ちなみにBMWの名前はバイエリッシェ・モトーレン・ヴェルケ/バイエルンの発動機工場を意味する。
1922年になると、自動車やオートバイの製造に力を入れることを決めた
創業から数年経つと、BMWは自社のエンジンを含む自動車やオートバイの事業を手掛けることになり、一番最初はマックス・フリッツ設計のオートバイとなるモーターサイクル・R32が開発された。そこから徐々に4輪の自動車も製造して、成功へと繋がる生産台数を伸ばしたのだ。
BMW R75
— ドイツ軍のあれこれbot@ノイ (@Feldwebel216) 2019年1月24日
ドイツ国防軍が使用したサイドカー付きのオートバイ。タミヤでよく見るアレ。
このサイドカーの車輪も駆動させることができたので、不整地走破能力が高かった。
他に有名な偵察オートバイにはツュンダップKs750がある。pic.twitter.com/yr9nMYneUY
いかにも時代を感じられそうな初の四輪車・Dixiが進出した
オートバイの事業がひと段落着いたら、1928年にDixi(デキシィー)と呼ばれる車を開発した。これは買収した工場にBMW独自の技術を取り込んで製造した、初めての記念すべき4輪車となり、他にもBMW 501 リムジンやBMW 700 S Cabなど現在では大変な希少価値のある車を製造していた。
1953 BMW 501. Saloon.
— Classic Car Shop (@Classiccarshops) 2019年1月17日
6 Cyl manual.
Burgundy with red cloth.
Chassis number# 42172.
Restored by its last owner of 25 years in the 90s to a high standard, and garaged for the last 12 years.https://t.co/DKWkNr9IPs pic.twitter.com/JHKLXY8PWo
後に自社のみで開発した3/20AM1が進出した
戦後初めての4輪車・501を開発・製造した。これは1964年まで続いたクラシカルな雰囲気の車で、1,971cc65馬力エンジンを搭載して快適な乗り心地と寒い時期にありがたいヒーター、安全への配慮が行き届いていたが車体が重くて速度はライバル車のベンツに劣っていた欠点もあった。
敗戦でドイツが東西に分断されて苦境に追いやられても、突破口を発見できた
実は戦争が終わった後のBMWは、生産規制を受けてしばらく自動車製造ができなかった。その上ドイツ自体がベルリンの壁で東西に分断されたので肝心の工場が壁に隔てられ離れ離れになってしまった。このままでは倒産も必至だと誰もが思った時、自転車や農作業で使う機械の製造に力を入れることにした。そしてあるモーターショーでイタリアの自動車メーカー・イセが開発したミニカー(マイクロカー)、イセッタに感銘を受け、それをライセンス生産することにして何とか倒産の危機を脱することができた。この後も小型自動車・1500(イノエクラッセ)で好調な売り上げを収め、よりBMWの素晴らしい業績を作り上げた。
BMW 1500, gli anni 60, la neve pic.twitter.com/28D83k12k2
— Quartamarcia (@Quartamarcia) 2019年1月16日
1970年代から今のBMWの基本となる色んなシリーズが続々誕生した
販売規模が拡大したBMWは、25年間も継続した航空機エンジンの生産を一切取りやめにしてますます自動車製造へ力を注いだ。まずはジュネーブモーターショーでBMW1600-2を発表してどんどん02シリーズを拡張していき、スポーツクーペと言えるBMW3.0CSを製造。そこから今でも続いている初代5シリーズ、世界初のターボエンジンを用いたBMW2002ターボ、初代3シリーズ、6シリーズ、7シリーズなどがある数多くのモデルを展開した。
1976 BMW 2002 (North royalton) $23000 - https://t.co/IW9yc2Z5U9 pic.twitter.com/g9YpqZLauE
— Das Autobahn (@dasautobahn) 2019年1月25日
1972 BMW 2002 ROUNDIE E10 E-10 $6500 - https://t.co/QgDJb0H3HK pic.twitter.com/rp2HbWEKsY
— Das Autobahn (@dasautobahn) 2019年1月24日
そして企業及び法人は、日本へ進出してさらなる展開を目指した
ドイツやヨーロッパ各国で進展したBMWは1981年に日本へ進展することを決めた。当時の日本はバブル経済に入っていて、BMWの車はデザイン性と走行性能が優れているのでたくさんの人から人気を集めた。もちろん日本法人も年代と共に発展して高いビルにオフィスを構えて、車を展示できるショールームも完備した。
平成に切り替わった90年代、ロールス・ロイスと提携して事業を行う
1990年にイギリスの自動車メーカー・ロールス・ロイスと提携を結び、再び航空機エンジン生産を開始した。ロールス・ロイスの設計をBMWが行い、BMWの製造をロールス・ロイスが行うという方針を取っていて、アメリカ・サウスカロライナ州に工場を建ててさらに事業を発展させた。
買収したメーカーの車種だったMINI、ライレー、トライアンフを所有して独自に応用
イギリスの自動車メーカーであるローバー・グループを買収したBMWは本来の会社が手掛けていたMINI、ライレー、トライアンフにさらなる磨きをかけて名声を得た。特にMINIは独自の個性が光っていて、モータースポーツにも積極的に参戦してよい成績を収めているのが特徴で、2001年には新生が誕生した。
日本でも人気のミニは電気とガソリンで走るPHEVのラインナップもある
miniクロスオーバーに
— Shin (@Shin_images_) 2019年1月21日
フィルム貼りしました♪
新車はやっぱ緊張(笑)
ありがとうごさいました^ ^#イメージス #カーフィルム#カーオーディオ #クロスオーバー#mini #f54https://t.co/JlLxDFzwbl pic.twitter.com/TSfqLarVkg
個性的なフロントやエンブレムを始め、颯爽と駆け抜ける喜びにこだわる方針を守る
BMW:E30型M3
— Johnny Scarlet (@Johnny_Z16A) 2019年1月25日
NFSで知った
BMWで一番乗りたい車
丸目二灯と控えめなウィングが好き
もし買ったらDTM仕様にしたい pic.twitter.com/UPRqasaMmG
日本でも深く馴染みがあるBMWは、誰もが憧れる外車メーカーで有名だが、ここまでたどり着くのは決して容易な道のりではないことを忘れないで欲しい。特にBMWの誇りと言えば、COBBYに紹介されている他では決して見られないキドニーグリルが付いたフロント部分、バイエルン地方の清々しい空をイメージした4等分の青と白の円を組み合わせたエンブレムが該当して、賞をもらえるくらいの車を日々開発して、性能や品質で革新技術を取り入れる姿勢が当てはまる。