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世界の新型車のニュース・モデルチェンジ・旧車などのブログ

とにかく全てにこだわりを詰め込んだダイハツ自慢のコンパクトカー・シャレード

コンソルテの後継となるように製造されたシャレード

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1969年に誕生して1977年まで活躍したダイハツの普通車・コンソルテは販売が終了してもシャレードという車種に生まれ変わった。当時は欧州各国で前輪駆動(FF)を生かした小型車の開発に力を入れていて、日本もそれに応えようとしていたので、シャレードはその要素を取り入れた。具体的に説明すると広い室内空間と3気筒のCB型1.0Lエンジンによる駆動を併せ持つ新たな小型車(コンパクトカー)を目指したことが挙げられる。現在でもCOBBYのランキングにある通り、リッターカーは人気カテゴリーになっている。

取り回しやすく燃費も良いリッターカーのランキングを紹介

初代は新たな小型車の方向性を確立することを目指した

一番初めのシャレードは1977年に誕生して、4ストローク直列3気筒エンジンと振動抑制対策を加えていることを始め、値段も普通車なのに軽自動車とあまり変わりなく燃費性能にもこだわっていたので1978年にカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した実績もある。さらにシャレードはこれまで出回っていた日本の大衆車とは一味も二味も違う特徴が込められたことを実感できるのも特徴。

日本グランプリに参加して、その性能を発揮したこともあった

先ほど紹介した初代シャレードはレーシングカー仕様も開発されて、日本グランプリに参加した経験もある。レース中では十分な動力性能を発揮して見事に優勝を収めたのでさらに注目を集めて、モナコで行われるモンテカルロラリーに参加してほしいとオファーも来た。

またの名をシャレード・ターボとも言うシャレードデ・トマソも登場

1981年になるとシャレードをちょっと進化させたシャレードデ・トマソが登場した。これはダイハツ独自での開発ではなく、欧州自動車メーカーと協力して開発したスペシャル仕様の車で、ボディ全体に情熱的な赤色が使われ、内装には黒の本革を生かしたシートやハンドルが加わり、肝心のエンジンは3気筒OHCターボが搭載され、まさにこだわりが詰まった高級車のような印象となったのだ。

ディーゼルターボエンジンを搭載するなど設計を発展させてついに2代目に突入した

全高を以前より高くし5速ミッションを始めて採用して、ターボエンジンだけではなくディーゼルエンジンが搭載したモデルもある2代目は、1983年に登場して人々を驚かせて自動車市場で成功を収めた。さらにこの車は外側のボディや内側のシートが真っ白なフルホワイト仕様や排気量が押さえているのにすごいスピードが出せる926ターボ、パワートレインをDOHC12に変更したけれど残念ながら販売に至らなかったデ・トマソ926Rも登場してより賑わいを見せた。

しゃれたスタイリングを取り入れて、3代目にフルモデルチェンジ

今度のシャレードは少し膨らみを持たせたおしゃれなボディを取り入れて、SOHC6バルブ・シングルキャブレターとSOHC6バルブターボエンジンを搭載した。これは実用性の高さと見た目の斬新さが融合して、走りをより楽しくするという要素が込められている。もちろんいくつかのマイナーチェンジも行われて、4WDも追加された。

ボディサイズとエンジンに力を入れた4代目で、シャレードは完全に幕を閉じた

車体そのものが大きくなってエンジンもHC型1.3L・91PSのみが搭載された4代目は、バブル時代に開発が行われてインテリア・装備品・走行性能がよりよいものだった。豊富な種類を取り揃えていてマイナーチェンジで所々をリニューアルしたが、2000年に同じくダイハツで製造した小型自動車・ストーリアにまとめられることになって、とうとう23年間も続いたシャレードの歴史は終わることになった。

ストーリアは誇り高きシャレードの後継車に該当する

シャレードが終わってしまっても、ストーリアという小型自動車に受け継がれている。グレードは「1000CL」「1000CX」「1300CX」「1300CZ」「ツーリング」が挙げられ、特別仕様車のミラノや限定車となるツーリング・リミテッド2WDが登場したことを始め、EJ-DE型、EJ-VE型エンジンも搭載されたのでこれはまさにシャレードの最高級を誇っていると言える。

名を馳せたシャレード・トマソは2017年に現代仕様でよみがえった

2017年に幕張メッセで開かれた東京オートサロンで、ダイハツのSPORZA(スポルザ)が展示された。これは往年に活躍したシャレード・トマソをより現代らしく進展させた車で、ボディ全体が赤と黒で情熱的にまとまっていて、力強くスポーティーな軽自動車に見えるのが特徴。

結論から言えば、往年のシャレードは先進技術を取り入れたダイハツの名車である

今回紹介したダイハツシャレードは、コンパクトなボディ及び画期的な技術を取り入れたおかげで多くの人に親しまれる小型の大衆車として名を馳せた。この功績は現在行われているダイハツの自動車開発にも生かされているので、これから来るであろうダイハツ自動車の未来に貢献していると実感する。

スポーツ性あふれる乗用車として好成績を収めたトヨタ・セリカ

70年代に一世を風靡したトヨタ自慢の名車・セリカにはこんな魅力があった!

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1970年代に誕生したセリカは、トヨタの先進的でスポーティーな車として長い間受け継がれてきた。その歴史は残念ながら2006年に終わってしまったが、日本国内や世界中のファンがたくさんいて、スペイン語で「神々しい」という意味の名前を持ち、どの世代にも斬新なデザインが取り入れられたことも当てはまるので、トヨタが誇る栄光となったことは確かだ。

初代に登場したセリカは「ダルマ」の愛称で親しまれた

一番初めのセリカは1970年から1977年までの間に流通した2ドアハードトップクーペで、「未来の国からやってきたセリカ」というキャッチフレーズが掲げられた。当時はモータリゼーション時代で高速道路が全線開通したこともあったので、よりセリカは波に乗って今まで通りのセダンでは味わえないスポーティー性が加えられ、ボディデザインもちょっとふくよかなので「ダルマ」というニックネームで愛された。

トヨタはセリカ以外にもカローラなどの名車が揃う

同じくトヨタで製造したカリーナと似ている部分がある2代目は、シャープな印象

1977年にフルモデルチェンジが行われ2代目に突入すると、日本初の三次元曲面サイドガラスが使われてシングルキャブ、ツインキャブなどの6種類もあるエンジンが搭載されて1978年にはこれを上回る上級モデル・セリカXXも登場した。さらに排出ガス規制に応えるためによりよい改良が加えられて、衝撃吸収バンパーを強くする、正面にあるヘッドライトを角型にするなどのマイナーチェンジも行われた。

3代目は世界、新CELICAを掲げているほど素晴らしい

今度はターゲットを若い人に絞り、空気抵抗を減らすためにボディ全体に直線を巡らせて鋭い印象を作り、1,600ccやDOHCなど4種類もあるエンジンを搭載している。生産販売期間は1981年から1985年までの短い間だったが、その間でもマイナーチェンジが行われミラーやエンジンが改良され、1984ケニアで行われたサファリラリーで3回も優勝したことが誇りだ。

前輪駆動へ進展した4代目は昭和の終わりまで続いた

バブル景気に突入した1985年、セリカは4代目に突入した。ボディ全体を流動感ある曲線でまとめて今までのような後輪駆動ではなくFF(前輪駆動)を取り入れるなどの大変革を起こした。ちなみにエンジンは最初4気筒版のみだったがGT-FOUR(ST165型)やDOHCも取り入れて、ターボを装着して馬力を185psまで上げ、さらにはトヨタで初めて4WDを採用したGT-Fourが加わったので、平成に入る前にトヨタの素晴らしい快挙が果たせたと実感できる。

平成の時代になっても、セリカの歴史は続く

昭和の平成の境目となる1989年から1993年にかけて、5代目へとモデルチェンジが行われた。今までのセリカにはない個性的な形状のボディ、高性能エンジンの搭載とより強靭になったサスペンション(懸架装置)及びシャシー、4WDのものには必要な時だけ差動を制限するリミテッド・スリップ・デフが取り入れられ、さらにはラリー競技に参加するための特別車両も作られた。ちなみに5代目はまるで未来にありそうなスタイリングを取り入れているように見える。

スポーツ性を重視した6代目・GT-FOURは力強い走行が自慢

5代目が終わって6代目に発展すると、今までのものより一回り上回るスポーツ性が加わった。タイヤ及び軸を支えるシャシーはより強度が上がり、全体の重量は20kg軽くなったことを始め、高い性能のサスペンションやツインカムターボ3S-GTEを搭載して多くの人から高評価を獲得した。同じく製造された最上級モデルには新たに開発したパーストラットサスペンションを取り入れ、ハンドリングしやすいものになったのも特徴。

2006年まで駆け抜けた7代目で、36年も続いたセリカの歴史は幕を閉じた

1999年に再びフルモデルチェンジが行われ、荷物を置くトランクに該当するリアデッキが備わったセリカが誕生した。これまでの種類と比べてみるとタイヤ同士の距離が長くて高速道路でも安定して走行できるような工夫が加わっていることを始め、FF仕様リアサスペンションが固定車軸となったり最大で145ps~190psの馬力を発揮できるエンジンが搭載されたことが最大の自慢となる。そしてあれだけ目立っていたトヨタセリカは2006年に終わりを迎える。

何と、2019年夏にセリカが新型に生まれ変わって復活する見込みがある!

これまで紹介してきたトヨタの看板車種・セリカはカッコいいスポーツカーとして注目を集めた。当然多くのファンもいたが、名残惜しさを遺すように終わってしまった。しかし車情報サイトのCOBBYに紹介されている情報では2019年の夏にセリカは新型モデルになって発売される可能性があるという。

スープラに続きセリカもフルモデルチェンジして復活か

その特徴は往年の頃にも負けないくらいの高い性能を持つパワートレインや、今求められている衝突回避などの安全性や、燃費を20km/L以上にすることができるなどが当てはまる。

悪路を颯爽と走る勇ましいトヨタ・ランドクルーザーは戦後から現在に続く

戦争中に、トヨタ日本陸軍用の四輪駆動車を製造した

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今では高い評価を受けて世界中に認知されているトヨタクロスカントリー車・ランドクルーザーは長い歴史と独自の性能、そして力強い走りを見せつけることで有名だ。しかしその原点となるのが戦時中トヨタが開発した日本陸軍用の四式小型貨物車で、今のランドクルーザーとは全然見た目も性能も劣っていた。しかしこれがどんどん発展して、現在でも馴染みある車となる。

初代は日本を守る警察予備隊が使うのにふさわしいトヨタジープBJ型だった

現在では陸上自衛隊という名前になっている警察予備隊へ受け入れてもらえることを狙って、1951年トヨタジープBJ型が開発された。これは前輪と後輪が共に駆動できる4WDを取り入れていて、肝心のエンジン及び動力を伝えるトランスミッションもトラックに使われているものを使い、最初はトヨタジープBJという名前だったが、ジープはすでに商標登録されていたため1954年にランドクルーザーに改正した。

1955年から1960年にかけてモデルチェンジを行い、一般にも使いやすい20系に

初めてモデルチェンジが行われたランドクルーザーは、乗り心地を大幅に改善して水冷直列6気筒OHVガソリンエンジンまたはF型ガソリンエンジン 水冷直列6気筒を搭載した20系になった。それと同時に本格的な海外進出を果たしてますますランドクルーザー知名度を上げていった。

24年間ものロングセラーとなり世界中で愛された、ランドクルーザー40系

20系にフルモデルチェンジが加わって、1960年40系が誕生。土台のシャーシを改善してディーゼルエンジンB型に変更してからはRVとして人気を集めたが、1974年に起こったオイルショックによってエンジンを変更したこともある。しかしそれでも色々なモデルが登場し、発売は24年間も継続した。

クロスカントリー車と安全性の要素にこだわった55、56型

今度のランドクルーザーは今までのように軍隊が使うようなボディスタイルではなく、一般向けの車らしいボディとなった。さらに説明するとホイールベースが延長され一番後ろのトランクは手前に引っ張って開ける両開きの扉となり、抜群の加速力を出せる56型エンジンも加わったので、日本国内だけではなく北米やオーストラリアにも進出し、大ヒットを収めた。

1980年から平成が始まって間もない頃まで展開した60系

「静粛性と乗り心地を兼ね備えた四輪駆動車」の肩書きを持つ60系は、コンクリートで舗装されたオンロードでも走行しやすいように工夫していて、ガソリンエンジンだけではなくディーゼルエンジンの種類もある。その上日常でも使いやすいように全体に豪華なラグジュアリー印象を取り入れて、豊富なラインナップをそろえた。

ランドクルーザーにふさわしい礎を築いた70系は、10年後に記念モデルも発売した

激しい仕様に耐えられるヘビーデューティーモデルに仕上げた70系は、1984~2004年までの20年間に活躍した。もちろん走破性と耐久性をどこまでも追及して76バン、76セミロング、73ミドルボディーなどのバリエーションも追加され、一度は生産を終了してしまったがそこから10年後、70シリーズの発売30周年を記念してより現代らしいボディやV6・4.0 Lの1GR-FE型エンジンを加えた「記念復活モデル」が発売された。

高級SUVの名を欲しいままにした80系は北米やオーストラリアの大地も駆け抜ける!

ボディを今までよりも一回り大きくして少し角を丸くして、今までのようなクロスカントリー車から高級SUV(スポーツ用多目的車)へと華麗なる変身を遂げた。もちろん互いに連携しているパワートレインやエンジン、トランスミッションもそれにふさわしいものに変わり、これまでのランドクルーザーと同じように悪路でも楽々走行できる性能は一切変わっていない。そして日本よりもはるかに広い北米やオーストラリアの大地に向けて海外進出も決まった。

そして今、世界で認められる本格4WDの100系が誕生し、最高峰へ達した

ランドクルーザーは80系まで進展しても、決して止まることなくさらに上を行くような進展を目指す。1998年に誕生した100系は、今までを超える強靭な力を発揮して高級感も併せ持つ「プレミアムSUV」として認められた。V8ガソリンエンジン及び最高出力205PSの1HD-FTEのディーゼルエンジン、独立懸架方式の安定装置・サスペンションを採用したことで、高速道路での安定した走行や静粛性を保つことができた。お気に入りの種類が見つかるように様々なスタイルも取り入れていて、まさにランドクルーザーの最高峰という言葉が似合う。

200系には歴代のランドクルーザーを意識させるデザインと力強いエンジン、駆動システムがある

これまで紹介してきたランドクルーザーは、世界のあらゆる厳しい道で鍛えられてどんどん進化を遂げているトヨタ自慢の4WD車と言える。もちろん多くの人からの信頼もあり、60年以上たっても未だに衰えることなく世界中で認められているのだ。

そして今とうとう200系に登りつめたランドクルーザーは今まで受け継がれてきた走行能力だけではなく、燃費を向上させたりマイナーチェンジで加えられた最新の安全機能をしっかりと備え付けているので、いかにもトヨタ独自の飽くなき堂々とした追求が込められていると感じる。
COBBYでは次期ランドクルーザー300系へのフルモデルチェンジ情報も紹介されている

ハイブリッドモデルが追加される次期ランクル300のフルモデルチェンジ情報をチェック

先進の衝突回避技術を導入したランドクルーザー・プラド

新型プラドのカスタムパーツや評判など解説

今発売されているランドクルーザーの中には、派生となる「ランドクルーザー・プラド」もある。これは普通のランドクルーザーとどう違うのか説明すると、正面にあるフロントガラスを刷新してライトのデザインも変更して力強い正面を見せつけている、中のインテリアもゆったりとくつろげるように工夫されていて、クリーンディーゼルとガソリンの2種類があるエンジンでどんな道も楽々走れることはもちろん、さらに忘れてはならないのが歩行者や他の車を認識して衝突を避ける最新の安全装備が搭載されたことが当てはまる。

日産が誇る大衆車だったサニーは昭和から平成に至って驚異的な売り上げを見せつけた

多くの人に馴染みやすかったダットサン・サニー

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日産自動車が誕生してからすぐに発売したダットサン乗用車は、自慢できる自社ブランドとして有名だったが、その中の一種であるサニーという車をご存じだろうか。これは価格を抑えているのに性能が高く、何より日本のマイカーブームを進展させた実績がある。そして何よりこの技術は今販売されている、日産ノートe-POWERにも受け継がれているのも素晴らしい。

軽量化や新開発エンジンなど他の大衆車にはない特徴を生かして、徐々に広まっていった

サニーの特徴と言えば、何と言っても軽いボディ、少ない部品数、徐々に追加されたボディタイプ、何より最高出力56PSを発揮するのに燃費も考慮している高性能エンジンが当てはまる。これらは平成に入っても改良されて受け継がれていき、たくさんの人に認知されるような名車を作り上げた。

キャンペーンで名前を募集して、やっと決定した時に初代・B10型が発売された

生産して発売する前に、日産自動車はその車の名前を会社で決めるのではなく一般の人から募集するキャンペーンを行った。期間は1965年12月から1966年1月の短い間だったが、848万3,105通の名前候補が集まって、どれにしようか十分に悩んで審議を重ねた末に、英語で「晴れ」や「温かい太陽の光」を示すサニーという名前が決まり、それと同時に世間に初代がお披露目されることとなった。

日産にはダットサン サニー以外にもチェリーという名車がある

もちろん、たくさんの愛情を注いできたオーナーも結構いた

色んな種類があるサニーは、就職してお金を稼ぐようになってから初めて購入した人も多い。モデルチェンジが行われてエンジンやボディが発展してもそれに乗り換えることなく、中のメンテナンスは自分でやって維持にも細かく配慮していて、息子から孫へ大切に乗り継いでほしいという願いを込めている人もいる。

隣のクルマが小さく見えますというキャッチコピーで2代目に突入

COBBYなどでもよく紹介されるトヨタカローラは、先ほどの初代サニーよりも大きい1100ccのエンジンを搭載している。1970年、日産はそれに対抗するために1200ccのエンジンを新たに搭載してサニーのモデルチェンジを行った。さらに宣伝のキャッチコピーは「隣のクルマが小さく見えます」にしたので、これはまさにカローラへの真っ向勝負と言える。その後も2代目サニーはカローラを圧倒するために、GXというグレードやロータリーエンジンを加えるなどの技術を見せつけた。

ボディに曲線を持たせて北米市場を狙った3代目はさらなる進化を遂げている

1973年にモデルチェンジして3代目に突入すると、今までの平凡なボディではなく曲線を多く利用して抑揚のあるボディとなった。エンジンは1,200ccのA12型エンジンとエクセレント用1,400cc・L14型エンジンの2種類があり、さらには5速ミッション車も用意した。ちなみにこの車の趣旨は北米を始めとする世界への輸出を拡大することが当てはまる。

まっすぐで長い直線のような車体を持つ4代目は、最後のFR駆動モデル

今度は3代目のように曲線でまとまって少し膨らんでいるものではなく、横から見るとちょっとリムジンのように長いボディとなった。それだけではなく後ろにあるリアサスペンション(固定車軸)が4リンクコイルに変わり、全車OHV・A型エンジン搭載車で統一され、1979年にはステーションワゴンの原型とも言えるサニーカリフォルニアが追加された。そしてこれは後方の車輪を動かすFR駆動モデルの最後となった。

エンジンを一新して前輪駆動へ移行した5代目は、サニーの大きな転換期となった

時代の流れに合わせてさらに磨きをかけた5代目は、駆動方式をFF・前輪駆動に改正し、共にエンジンもSOHCに刷新した。さらにエンジンに欠かせない軸・カムシャフトにもタイミングベルトを加え、名前もダットサン・サニーから日産サニーへと帰ることとなった。1982年にはターボモデルも追加されたので、これぞまさにサニーの歴史に大きく名を遺す功績だと実感する。

昭和から平成に切り替わる間に流通した6代目は、グレードを新設定

1985年から1990年まで活躍した6代目は、サニーで初めての4WDが追加され品質・性能が共に大きく発展した。モデルチェンジ後はトラッド・サニーの愛称で親しまれ、DOHCエンジンを載せたSuper Saloon TWINCAM
直列4気筒SOHC・12バルブが加わった1300EX Saloonなどのグレードも登場している。

高いクオリティを追求した7代目は勢いよく世に広まっていった

日産サニーは今の性能で決して満足することなく、さらに上を行く進展を目指す。平成が始まって間もない1990年に誕生した7代目は、エンジンを全てDOHCか1800ccに統一させる、そして4WDモデルはフルタイム式やビスカスLSD付センターデフ式、パートタイム4WDを採用した。その上この車はダートトライアルというモータースポーツにも積極的に参戦した実績もある。

同じく日産で製造している名車の長所を集結させた8代目

「マーチ並みの燃費、プリメーラ並みの居住性、ローレル並みの乗り心地」が掲げられているのに大幅なコストダウンも取り入れられた8代目は、直列4気筒DOHCエンジンを改良したものやプレミアムガソリン仕様を加えていて、サニーの最高潮を存分にアピールしている。

世界基準セダンというコンセプトを掲げた9代目で、サニーの歴史は終わった

1998年、新たに開発した直列4気筒DOHCガソリンエンジンを搭載してサニーは最後のモデルとなる9代目に登りつめた。これは海外進出を一切しない完全な国内専用車で、燃費をよくするエンジンや有害な排ガスを低減させたLEV仕様も開発されて、まさに悔いが残らないような史上最強のサニーとなっている。そして日産自動車が70周年を迎えた時にサニーは製造・販売を終了して、完全に歴史に幕を閉じた。思えば1966年から2004年まで、日産のサニーはどんどん進化を頑張ってくれたと実感する。

昭和の日本で仕事の足を務めていた三輪自動車は独特の温もりを感じる

三輪自動車の原点と言えるのは、やはりベンツのモトールヴァーゲン

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COBBYは車のサイトなのですが、車好きなら車のことは何でも知ろうと、今回は車の起源にまでさかのぼり、三輪自動車について調べてみたので記事を執筆しました。
3つの車輪で走る三輪自動車は、まさに子供用の三輪車を大人向けに応用させた乗り物と言える。前にある1つのタイヤはハンドルを回して方向を切り替える時に使い、後ろにある2つのタイヤが駆動に生かされているのが特徴。その起源は1886年にさかのぼり、ベンツが世界で初めて開発したベンツ・パテント・モトールヴァーゲンという内燃機関と大きな直径の三輪で動いた車が当てはまる。

戦前から日本国内で活躍していたマツダオート三輪ダイハツ号HB型・くろがねの軍用サイドカー

日本で初めてとなる三輪自動車は、1902年に銀座で発売され同じ頃に大阪が前に2つ、後ろに1つの車輪を搭載してアメリカ製のエンジンを載せたものが当てはまる。現在のマツダこと東洋工業は1931年に「マツダオート三輪」を、のちにダイハツとなる発動機製造も1932年に「ダイハツ号HB型」を、そして日本内燃機製造は日本陸軍サイドカーとなるように、くろがねブランドの軍用サイドカーを開発した。

戦後から庶民の間で活躍していたオート三輪は、とにかく人間の役に立った

戦争が終わって何もない日本では、「オート三輪」という三輪の貨物自動車を用いた配達や石炭採掘などを行っていた。やはり四輪車に比べると格段に小回りしやすくて値段も安く、何より荷物をたくさん積載できて悪路にも強いので、たくさんの人から重宝された。ちなみにエンジンは空冷単気筒ないしV型2気筒だったが、これ以上温度が上がらないようにするための冷却ファンなどを取り入れて、ますます四輪車に差を付けた。

特に注目を集めたダイハツ・ミゼットも忘れてはならない

オート三輪が市場に出場してから1950年代に入ると、軽自動車規格の三輪自動車が続々と登場した。現在でも軽自動車産業に全力を注いでいるダイハツは、1957年に「ミゼット」というオート三輪を開発した。これは大量生産と低価格販売が趣旨となっていて、分割払いでも購入できる、空冷249cc単気筒エンジンを搭載、軽便性に優れていることが売りとなって、大ヒットを記録した。ちなみにミゼットは、「街のヘリコプター」というキャッチコピーでますます有名になり、1996年になると四輪車の軽貨物自動車・ミゼットⅡに発展した。

オート三輪の登場によって軽3輪トラックブームが巻き起こった

昭和時代を支えてきたオート三輪は、どんどん市場に現れて一種のブームを引き起こした。大宮冨士工業からは「ダイナスター」、光栄工業からは「ライトポニー」、ホープ自動車の「ホープスター」など続々と新しいものが開発されたが、やはり先ほど紹介したダイハツ・ミゼットには追いつけない。なお、3輪トラックブームは1960年代になると完全に終わってしまった。

ドライブに使える乗用車へ進展した実績もある

三輪自動車は荷物をたくさん積んで運ぶトラックのイメージが強いが、前方にエンジンを備えたボンネットがあって、ドライブにもふさわしい普通の乗用車にもなったことをお忘れなく。1950年前後にダイハツが「Bee」という三輪セダン車を開発し、続いて富士自動車が前2輪、後ろ1輪のフジキャビンを開発したが、道路交通法の改正や部品の破損が生じたため、残念ながらたった2年で製造終了してしまった。

映画やアニメにも登場して、その存在感をアピール

今回のテーマである三輪自動車及びオート三輪は、現在の道路では全くの皆無と言っていいほど見ないが、昭和の下町を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」、サザンオールスターズ桑田佳祐が監督を務める「稲村ジェーン」などの映画や、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という漫画や「となりのトトロ」「コクリコ坂から」などのジブリアニメーションにも登場して、当時活躍していた様子を醸し出している。

これだけ人の役に立っていたのに、なぜ衰退してしまったのか

1950年代から60年代まで活躍していた三輪自動車は、最盛期以降から徐々に衰退していった。そして現在ではもう姿を見ることは皆無で、毎日道路には四輪の車が行き交っている。三輪が衰退した理由は意外と簡単で、小回りが効くけれどしっかりと安定しなくてひっくり返りやすい、免許制度を含む法律が変わって三輪を運転する時も免許を取らなきゃいけなくなった、そして安価な四輪軽トラックが次々と出てきたため、とうとう三輪自動車は廃止になったのだ。

1950年7月までは軽自動車と規格が同じだったオート三輪 軽自動車の歴史も振り返る

最新技術を駆使して、三輪自動車は平成によみがえった!

これまで紹介してきた三輪自動車は、昭和の日本に貢献してきたことがひしひしと伝わってくる。現在では全く姿を見なくなったが、実は平成の時代に入っても「日本エレクトライク」という会社が最新電気モーターを搭載して、近場をちょこちょこ走り回るのにこだわった三輪自動車を開発した。これは荷台に荷物を載せて運ぶ業者にとっては、普通のトラックよりも楽でありがたい乗り物となる。

栄光のメルセデス・ベンツ600は非常に高貴なリムジンを兼ねていた

ベンツならではの輝きを帯びている600シリーズは何年経っても色あせない

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正式名称は「メルセデス・ベンツ・W100」と言い、1964年から販売を開始していて立派なブランドになるように製造され1964年から販売を開始していた車である。その姿は通常の車には決して見られない堂々とした長いボディと強い走行ができるパワーユニットがあるので、ますますベンツらしい品格がにじみ出ている。

通常の車よりも長いボディと強いスピードを出せるパワーユニットが特徴

やっぱりベンツ600シリーズの魅力と言えば、リムジンを連想させるような3,200mmもある長い車体、M100型でV型8気筒SOHCのエンジンを含んでいるパワーユニット、満足が行くシートが備わった車内、さらには運転者の操舵を手助けするパワーステアリング、エアサスペンション、電動で開閉できる窓、自動開閉のトランクなどが備わっていることが当てはまる。

ちなみにボディは3タイプあり、最高速度は時速200kmを超える

肝心のボディタイプは、ショートホイールベース4ドア仕様となるリムジーネ、ロングホイールベース4ドア/6ドア仕様のプルマン、そしてプルマンをさらに発展させたランドーレットの3種類があり、どちらもトランスミッションは4速トルコン式ATが搭載されそれぞれで異なる特徴が生かされているので、乗った人を心から満足させている。

同じ高級車だったロールスロイスベントレーと異なる点

ベンツ自慢のリムジン・600シリーズは同じ頃発売されていたイギリスの高級車・ロールスロイスベントレーにも匹敵する実力を持っているが、自信を持ってアピールできるベンツ独自の特徴を挙げると鉄の塊を加工したような外観と、伝統とモダンを調合させた内装を併設していることが当てはまる。

結論から言えば、高速移動手段として使われていた

これらの車が目指した趣旨は、街を通っている道路だけではなく高速道路もすごいスピードで駆け抜けることである。もちろん加速機能もこだわっていてリムジーネでは時速205㎞、プルマンでは時速200㎞の最高速度を誇っていたことから、高性能スポーツカーにも負けなかった。

日本の天皇や世界の重要人物を乗せて運んだ実績もある

これだけの高級感に満たされているベンツ600は、第二次世界大戦前は日本の天皇陛下を乗せて走る車・御料車としても活躍した。その他にも北朝鮮の政治家・金日成金正日金正恩ルーマニアチャウシェスク、タイのラーマ9世、モロッコ王室などの重要人物を乗せて運んだ実績がある。

ロングホイールベースのプルマンは高級感や乗り心地のよさをアピール

600シリーズの中で特に忘れてはならないのがブルマンという種類で、これはロールスロイスを驚愕させる実力があると言われている。全長はリムジーネよりも長い6.2mにも達して生産台数はたった428台でお抱え運転手が運転する車・ショーファードリブンに十分にふさわしいとされていた。走行中及び窓の開閉が静かで、車内は天井を60mm上げて空間を持たせて、ゆったりとした座席が完備されているので、この上ない極上の贅沢を満喫できることが伝わってくる。

日本国内でマイバッハS600プルマンが発売されることになった

リムジンのような形状を保っているメルセデスマイバッハは、かつて一世を風靡した600シリーズに敬意を示して製造されているが、値段は何と家一軒が建つくらいの2000万から3000万となる。だけどこれはほんの序の口で、さらに上回るメルセデスマイバッハS600プルマンは通常のマイバッハと比べてもケタ違いで価格は8800万円という目の玉が飛び出るくらいのものすごく高い値が付いている。ちなみに拳銃の弾をはじき返す防弾仕様のプルマンガードは、日本では発売されていないが1億の価値がある。

かつてベンツを手掛ける会社の社長だった人物が愛用していた車も大切に保管されている

日本においてベンツを手掛ける会社・ヤナセの社長だった梁瀬次郎が生きていた時に使っていたブルーの600は、メタリックな青色をまとっていてアクセルを踏むと圧倒的な力を発揮して走行するのでなかなか貫禄がある。梁瀬自らが亡くなっても、その車はとてもよい状態で大切に保存されているのが特徴。

ベンツ600の系譜にあたるSクラス

現在ベンツ600は、メルセデス・ベンツセンター東京で堂々と展示されている

今回紹介したベンツ600シリーズは17年間に渡って、リムジーだけでも2677台、プルマンはたった248台を生産・販売してきたが、十分にベンツとしての貫禄をアピールできたと実感する。例え販売が終わってしまっても、ベンツの歴史に貢献したのだから、今運営しているメルセデス・ベンツセンターでその雄姿をアピールしているのだ。

今では立派なプレミアムスポーツセダンとなっているスカイラインは昭和のものでも味わいがあった

日産自動車が今でも継続して販売しているスカイラインはドライビングの喜びを伝える

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2WDや4WDで登場していて、豊富なボディカラー、色んなエンジンが備わっている日産自慢の自動車・スカイラインは今でも多くの人が乗っていて、スポーツカーとセダンの要素を追求している。ちなみにこの車は平成に入ってからできたものではなく、昭和時代に誕生してそこから長い歴史を経て進化してここまできたことを忘れてはならない。

1957年、プリンス・スカイラインで堂々と世に進出した

一番最初のスカイラインは外車らしいセダンのような雰囲気をしていて、小型乗用車規格に合わせたものだった。直列4気筒OHV・1,484ccを搭載して60馬力の最高速度を時速125kmを発揮し、まさにスポーツカーの走りを取り入れたセダンと言える。翌年になるとマイナーチェンジが行われて皇太子明仁親王自ら運転する車として有名になった。

量販車の市場拡充を狙って小型ファミリーセダンとして開発された2代目

1963年に2代目となるS5型が誕生した。G1型直列4気筒OHV1,484ccエンジンを積んで最初は小型ファミリーセダンだったが後にスカイラインバンと変更され、翌年の第二回日本グランプリGTクラスに出場するためにさらなる改造を加え、現代では当たり前に使われる3万kmの無給油シャシーを始めて取り入れ、日産がプリンス自動車と合併したことによってニッサン・プリンス・スカイラインという名前になった。

フルモデルチェンジによって誕生し、ハコスカの愛称で親しまれた3代目

宣伝のCMやキャッチコピーでは「愛のスカイライン」という言葉が使われ、カップルでドライブに出かける時にふさわしいものへとフルモデルチェンジしたのが3代目・C10型。これはまたの名をハコスカとも呼び、高速道路を駆け抜けた時は多くの人から注目を集めた。さらにハコスカは女性仕様のオプションも加えられて、マイナーチェンジで新たな種類・GT-Xが追加された。

ロマンチックなCMで多くの人に広まりベストセラーになった4代目

4ドアセダンと2ドアハードトップ、そしてワゴンやバンの種類がある4代目・C110型は独自のおしゃれなCMによってケンメリ・ヨンメリの愛称で親しまれ、多くの人を引きつけた。これは社会現象にもなり車の基本構造は同じく日産で製造していたローレルと同じで、ボアアップした直列4気筒OHC1,600ccエンジン、フロント、リアにはそれぞれ適した構造を組み込んでいるので、販売台数は今までのスカイラインの中でも最高を記録した。

R34スカイラインGT-Rの内装は歴代最高の質感

もう一度ハコスカのよさをアピールできるように5代目は省燃費と高性能を両立

今度の5代目は、かつてハコスカの愛称で世間や車好きを賑わせた3代目に敬意を示して、5代目が生まれた。ボディは4代目のケンメリから大きく変えて、ハコスカとも呼ばれる3代目をちょっと進展させたものを取り入れ、L16S型などの3種類のエンジンを搭載した。1980年になるとLD28型ディーゼルエンジンを搭載した車種が出てきて高度なメカニズムを誇り、公害を押さえ静粛性を果たしたので、80年代にふさわしい新しいGTの姿を現実にした。

走りの性能にこだわった6代目は、スカイラインファンの期待に応えている

1981年になると「New愛のスカイライン」というキャッチフレーズで6代目が誕生した。最初はサイズを押さえてシャープな印象にして、続いては直列4気筒4バルブDOHC FJ20E型エンジンを搭載した「2000RS」や「エステート」が登場。1983年になるとエンジンルームにターボチャージャーが加わり史上最強のスカイラインとして認められる。

高級スポーティサルーンを目指して昭和が終わるギリギリまで生産された7代目

4ドアセダン・4ドアハードトップ・2ドアクーペ・ワゴンの4種類が生み出された7代目・R31型は新世代の
RB20系ユニットエンジンに変えたことや4輪独立操舵システム・HICASを取り入れたことでも有名だ。その後も幾度と色んな種類や特別仕様車、たった30台しかない希少車種などを製造してこの車の特性を人に伝えられるようにしたことが何よりの特徴だ。

8代目は昭和と平成の間を駆け抜けまたの名を新感覚スカイラインとも呼ばれた

1989年から1993年の間に誕生して活躍した8代目・R32型は今までに比べると重量感があるボディに見えるが全長をちょっと短くして走りも向上させたので、現代の主流である本格的スポーツセダンに一番近づいていると感じられる。もちろんマイナーチェンジによってより安全性に配慮したものへとアレンジもしている。

日産自慢の最高級グレードスポーツカー・スカイラインGT-Rも忘れず

またの名をハコスカともいう3代目C10型は、ボディだけではなくサーキットでの走行でも重点を置かれたことで有名だ。それをさらに進展させた車は色々あるが、GT-Rも知ってほしい。それはいつでも「究極のドライビングプレジャーの追求」を大切にしていて、現代でも高く評価されている。

何年もの時を経てついに13代目に突入したV37型は、未来へと繋がる

平成になってから何年たっても、日産スカイラインの需要は衰えない。それどころかとうとう2014年には13代目に突入した。この車には初めてのハイブリッドモデルや先進技術が使われて、貫禄があるボディカラーをまとって、運転した時に高揚感を味わえるようにしている。

2020年にGT-Rがフルモデルチェンジか

これぞまさにスカイラインの長い歴史が結集してここまでたどり着いたと実感できる。