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今でも未来へ加速し続ける日産・フェアレディZは乗る人を喜びで満たす

日産のスポーツカーフェアレディZ

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日産自動車が誇る自慢のスポーツカー・フェアレディZはとても有名な名車

日産自慢の車種・フェアレディZは2ドアスタイルを取り入れたクーペタイプのスポーツカーである。日本国内ではゼットという愛称で親しまれていて、名前の由来はマイ・フェア・レディというブロードウェイミュージカルから来ている。見た目は外国の高級車にも負けないくらい洗練されていて、世界中にも進出している。COBBYにも名車が紹介されているが、フェアレディZの伸びやかなフォルムはとても美しい。

現在に至るまでの誕生の経緯

今多くの人が乗っているフェアレディZが誕生した経緯は、1952年にダットサン・スポーツDC-3が製造されたことが当てはまる。それはたった50台の生産で2年間で製造終了してしまったが、そこからダットサン・フェアレデー1200、2代目に当たるフェアレディ1500、フェアレディ1600、フェアレディ2000へとどんどん進展して、ついに現在のフェアレディZにたどり着いた。

1969年に日産フェアレディZの第一歩が始まった

ヨーロッパの高級外車にも劣らないスペックと洗練されたボディを併せ持つ初代フェアレディZ・S30型系は、日本国内のみならず海外でも発売されたので、日産にとって初の海外進出と記念碑のような車両になった。当時のエンジンはL型直列6気筒が搭載され、前と後ろにストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を取り入れたが、結論から言うとアメリカ市場のニーズに応えるためにあれこれ意見を出したことが当てはまる。

フルモデルチェンジによって2代目となるS130型系が誕生

あれこれ改良を加えられた初代フェアレディZは、1978年に初めてフルモデルチェンジが行われた。衝撃を緩和するリアサスペンションを別のものに変更して、後部のタイヤ及びリアバンパー部分を少し拡大した。その後国産車で初めてとなるTバールーフ(屋根を上げ下げできる装置)を加え、全体の軽量化や大きめのバンパーを取りつけるなど、色々進展させていったおかげで推計台数100万台を突破した。

日産デザインインターナショナルを取り入れたエクステリアを採用した3代目・Z31型に突入

外側のエクステリアをより引き締めてシャープな印象にした3代目は「較べることの無意味さを教えてあげよう」
などのキャッチコピーがたくさんある。そしてここから日常スポーツカーからハイパフォーマンス・スポーツカーへ趣旨が切り替わり、ZXのみターボエンジンが加えられた。1984年になると日産創立50周年を記念した「アニバーサリー」という車種が北アメリカのみで販売され、1988年になると乗り心地に影響を与えるタイヤと流体クラッチ・ビスカスLSDがオプションとなった。

経営悪化の名誉挽回を図った4代目・Z32型系が登場

平成元年になると完璧なスポーツカーを追求した4代目に突入した。当時はバブル経済の崩壊によって日産の景気が悪くなってしまったので、『スポーツカーに乗ろうと思う』というコンセプトを掲げてまた好景気になるような思いを込めて製造された。ボディデザイン設計にはコンピュータ支援設計が使われて従来通りのデザインと幅方向が大きくなるという新たな要素が加えられた。2000年になるまでの10年間、部品をよりよいものへ変更したり、マイナーチェンジを行うなどあれこれ進展が加えられた。

エンジンスペックの向上が行われた5代目のZ33

10年かけてあれほど進展したフェアレディZは、2002年に日産独自のスカイラインクーペのみを取り入れて、エンジンの最高出力を280psから313psに上げたので「Zは毎年進化する」という宣言通りになった。さらにこの車種は期間限定車や特別仕様車も製造されている。

COBBYでも紹介されている6代目・Z34型系は数々の賞を受けているのが素晴らしい

2008年にフルモデルチェンジを行い、6代目となるZ34型が誕生した。何よりエンジン・ボディ・変速機を今までにない高性能なものに仕上げて、豪華に仕上げた「フェアレディZ Version T」、スポーツカーのようにカッコいい「フェアレディZ Version S」、先ほど紹介した2つの種類を融合させた「フェアレディZ Version ST」も製造された。さらによりスポーティーなハンドリングが生かされた「Version NISMO」、フェアレディZ生誕40周年を祝う特別仕様車「40th Anniversary」も進出したので、日本カー・オブ・ザ・イヤー及びグッドデザイン賞、オートカラーアウォードなどを受賞した。

モデルチェンジを行いフェアレディZはZ35型へ

さらにフェアレディZは国内外のレースで輝かしい成績を修めている

これまで紹介してきた日産フェアレディZは、初代からずっと国外内のレースに参加して立派な成績を修めていることをご存じだろうか。初代が参加した一番最初のは惜しくも総合7位だったが、そこから徐々に成績を上げていき、ついには丸1日を要するレースで5位に輝いた。

フェアレディZの美しい内装は必見

警察に欠かせないパトカーにも応用されているという実績もある

初代フェアレディZのスペックをそのまま生かしたパトカーは、警察にとってありがたい最強のパトカーとなった。1908年までに活躍してその後も2代目、3代目・・・へと続いたが、スピード違反など悪質運転の取り締まりに貢献した。