日本初の本格的な4輪軽自動車として堂々と胸を張っていたスバル・360
今多くの人が当たり前に乗っている軽自動車の原点と言えば、何と言ってもスバル360
かつて富士重工業だったスバルが開発した軽自動車・スバル360は1958年に誕生して、同じ頃に発売されていた他社の軽自動車に差を付ける斬新なアイデアが採用された。ちなみにその車の趣旨は一般家庭にも馴染むように手頃な値段で購入できる、愛嬌があって一回り小さい形状だけど大人4人が楽々乗れる、当時の水準を大幅に超える走行性能を上げたことが当てはまる。こんなに最先端技術が練り込まれた車は他では全く見られない。
スバル360 in ハイエース pic.twitter.com/l5SAwgglJ3
— RA (@555whitebear) 2018年11月18日
#自動車撮影日記
— 修 名車撮影捜索日記 (@4AGEtwincam) 2018年12月10日
SUBARU 360 コンバーチブル
K111/212型
再掲載です。(2017年秋頃撮影) pic.twitter.com/vKfjXHRoVb
スバル・360。(1958年 - 1970年)日本最初の国民車(大衆車)「マイカー」という言葉を誕生・定着させ戦後日本の歴史を語る上で欠かすことのできない名車。https://t.co/JR3j4I2NJt
— MAYA♡昭和を走った車達 (@maya_i21) 2018年12月17日
てんとう虫の愛称で親しまれ、日本のモータリゼーションに光を灯した
この当時の車は、ボディデザインが大きめでゴツゴツしているものが殆どだったが、スバル360はボディ全体が丸みのある曲線でまとまっていて、コンパクトで軽快なデザインだったので「てんとう虫」と呼ばれていた。その上値段もこれまでの軽自動車と比べると結構安いので庶民にとってありがたい存在となり、マイカーという言葉を普及させた。もちろん日本の自動車産業及びモータリゼーション(自家用自動車の普及)にも貢献したことは確かだ。
現代でも売れそう!ころころ可愛いスバル360のスペックとお値段は?
もちろん開発はものすごい技術と労力を要したのだ
その頃の日本の自動車技術は欧米と比べると明らかに低かったが、排気量が360ccにまとまったことからあちこちの製造会社で軽自動車を作ることとなった。しかしどれもこれも2人乗りで最高速度はたった時速65kmだったが、スバルはそれらの常識を覆すような技術を取り入れた。軽自動車の形状でも大人4人が楽々乗れて空車状態では350kgを留める、エンジンは従来よりもはるかに上回る速度が出るものを使う、デザインは親しまれやすい丸みを帯びたものにする、室内は簡素だけどなかなか広いスペースを確保する、そしてエンジンも含まれているパワーレーンは専門チームによる改良が加えられている、振動を伝えないサスペンションは軽量であまり場所を取らないのに絶大な効果を発揮する。ちなみにこれらの技術をまとめると、富士重工業の前進だった中島飛行機時代の航空機技術を応用させたものと言える。
埼玉の飯能で見つけた古いスバルの車。有名なスバル360かな?かわいいお顔をしていますね。せきはん先生の『ぜっしゃか』の人たちが見たらすごくよろこびそうな車でした。 pic.twitter.com/IxbyszKZMe
— かもす (@kamosdeepforest) 2018年12月7日
Nシリーズの「鈴おふ」のじゃんけん大会の景品でのポルシェ911、「熱中時代刑事編」の水谷豊の愛車なスバル360、偶然見つけて即買いだったシティターボⅡ、そしてかつての家車のシビックCVCC改GL。夏~12月。 #今年作ったプラモ晒そうぜ pic.twitter.com/s9IV4v82xR
— ばっしぃ (@bassy430is) 2018年12月19日
さらに発展させた派生車種もこんなにたくさん登場している
あれほど世間を賑わせたスバル360は、更なる改良を加えた派生車種もある。最初は屋根部分をオープンできる幌に置き換えて解放感が得られる「スバル360コンバーチブル」が登場して、続いては業務目的で使う商用車となる「スバル360コマーシャル」、たくさんの荷物を積めるように中の容積を広くした「スバル360カスタム」、エンジンの出力をさらに上げてまたの名をマイアとも呼ぶ「スバル・マイア」、そしてスバル・360の姉妹車で高い耐久性とタイヤと路面の間にある強い粘着摩擦、ソフトな乗り心地で話題となったが2012年に生産を終了した「スバル・サンバー」も忘れてはならない。スバル360は自動車の情報サイトCOBBYでも紹介されているほど人気の車種だ。
スバル 360 [K111型]
— 名車・珍車bot (@great_cars_bot) 2018年12月18日
1958-1970
356cc EK32型 直列2気筒2サイクル
最高出力25ps/5500rpm
最大トルク3kgf・m/3000rpm
車両重量425kgpic.twitter.com/0M1tMlgo6O
【スバル 360】
— イカ娘の自動車紹介bot (@ikacarbot) 2018年12月18日
1958年に発売された軽自動車。手ごろな価格で良い性能。国民車と言っても良い車でゲソ。
スポーツモデルやオープンモデルもあったのでゲソよ。 pic.twitter.com/9fxmLgv9tc
こちらは「スバル360」と言う 富士重工さん
— (○|●) 榛の字(しんのじ-【Shin no Ji】) (@ShimbaHome) 2018年12月15日
現 日本のSUBARUさんが1958年から70年代まで
約12年間に渡って製造され 昭和の日本を駆け抜けて来た
約360ccと言うバイク並みの排気量の 当時物の軽自動車ですね
当時 まだ乗用車が高価な時代
「マイカーブーム」の火付け役となった"家族の為の車"ですね pic.twitter.com/1PZFnOzspy
ライバルの軽自動車も続々と出てきて、スバル・360としのぎを削った
スバルが軽自動車を開発する以前の1955年に、スズキが「スズキ・スズライト」を製造して販売した。それは4人乗りが可能で2ストローク2気筒のエンジンを搭載しており、初代と2代目のみだった。続いては同じくスズキが生産した「スズキ・フロンテ」はFFという前輪駆動を生かして7代目まで続き、さらにホンダが生み出した「ホンダN360」は高性能エンジンと低価格を組み合わせているので、スバル360と市場で熾烈な戦いを繰り広げた。
高性能エンジンと低価格はスイフトスポーツにも受け継がれている
後継となるR-2・スバルレックスも乗り心地がよいので道路を賑わせていた
ハードミニというキャッチコピーを掲げた「スバルR-2」は、スバル360の後継ぎとして発売された。コストを抑えて32馬力にパワーアップしたエンジンを加えるなどの改良が加えられたのでより庶民に親しみやすい人気の車となった。そして1972年にR-2のモデルチェンジが行われ、「スバルレックス」が誕生した。これは厳密に言うと落ち着きがあるデザインとなっていて、オイルショックや排ガス規制にもめげなかったので、20年間も販売された実績がある。
#自動車撮影日記
— 修 名車撮影捜索日記 (@4AGEtwincam) 2018年12月12日
SUBARU R-2 スーパーデラックス
(K12/12W型)1971年式
先月訪れた中兵庫クラシックカーフェスにて撮影
1969年に360の後継モデルとして登場
キャッチコピーは「ハードミニ」
生産終了後はレックスに後継される。
今の時代、R-2の名を聞けば大半の方があのR2を連想することでしょう🙃 pic.twitter.com/5o5YjOgsRQ
スバル360は生産が終了して50年経ってもたくさんの愛好者がいる
1970年までの12年間に約39万2000台を生産したスバル360は、多くの人から親しまれ称賛され続けて、これから続くスバルの軽自動車へと発展した。それらは「サンバー」「レックス」「プレオ」「ステラ」「ディアス ワゴン」「ルクラ」などがある魅力的なモデルになったが、2012年になるとスバルはもう完全に軽自動車の製造と販売を終了することを決めた。それは非常に残念だが、54年間の間で約796万8000台の軽自動車を生産して多くの人を満足させた実績があって、特に初代のスバル360は愛好者が集うクラブも結成されている。
2016年、名誉ある機械遺産に抜擢された
機械技術の中で特に素晴らしいものを大切に保存して、後世に伝えることを目指している「機械遺産」は、2016年にスバル360を認定した。その理由は今まで説明してきた斬新な形状、強い力を発揮するエンジン、庶民でも手が届く価格などが揃っていることが考えられる。