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高級車ブランド・アウディの歴史には劇的なドラマが込められていた!

かつてベンツのエンジニアだった創業者が、学んだことを生かして立ち上げた

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ドイツのバイエルン地方に本社を構える自動車メーカー・アウディは、フォルクスワーゲングループに所属していて、誰もが憧れる車の製造に力を入れている。会社が誕生した経緯は、高級車として有名なベンツの工場長兼エンジニアだったアウグスト・ホルヒが1899年に今まで学んできた工学や経験を生かして自動車産業を創立したことから始まり、この当時の名称はホルヒ社だった。しかしアウグスト・ホルヒは経営面での配慮をほとんどしなかったので、1909年に経営陣と対立して退職して後にアウグスト・ホルヒ・アウトモービルヴェルケ有限会社を立ち上げて、アウディの社名が誕生した。

第一次世界大戦後の不況でアウトウニオンが誕生し、これからに向けて奮闘した

ドイツが負けてしまった第一次世界大戦の後、世界恐慌などの不況によりあらゆる産業が大打撃を受けた。この窮地を脱するために、1932年にアウディ、ホルヒ、ヴァンダラー、DKWの自動車会社が団結して自動車連合・アウトウニオンを立ち上げた。ちなみにアウディ独自のエンブレムは4つの円が重なって繋がっていることで有名だが、これは先ほど述べた4つの企業がまとまったことで誕生した。なお1956年から1964年までダイムラー・ベンツの傘下に入り、1964年から現代までフォルクスワーゲンの傘下となっている。

1937年に設立したフォルクスワーゲンの歴史

セダンを始めとする豊富なラインナップを揃えて、アウディは再び復活した

アウディブランドの中核となる乗用車生産が再び行われ、中級セダン車を生かした80・スーパー90・100などの種類を取りそろえた。ロータリーエンジンの開発に力を入れているNSUを併合してますます業績を上げ、フォルクスワーゲングループで1、2位を争う自動車ブランドを確立したのだ。この頃から会社名がアウディに戻った。

独自の4輪駆動システム・クワトロシステムを開発してブランドイメージを強くする

1980年に、スポーツタイプクーペ・アウディクワトロを開発した。これは自社で開発した4WD・クワトロシステムを搭載していて、あらゆる道路で優れた走行ができる性能を持つ。この技術の仕組みは駆動の力を4輪へ効率よく配分しているので他社では決して真似できず、より一層アウディ知名度を上げた。

ベンツやBMWなどと肩を並べる、高級車のプレミアムブランドへ進展

アウディは1929年から高級車を手掛けていたが、不況により大打撃を受けてその分野は少し控えていた。しかし先ほど述べたクワトロシステムによって業績を伸ばし、1990年からA6、A8、A4の開発に力を入れて高級車ブランドを確立した。ちなみに車の特徴はCOBBYで紹介するエンブレムが使われた独自のフロントグリル「シングルフレームグリル」が使われ、セダンだけはなくSUVなどの種類もあるので、世界中から注目されるように取り組んでいることが伺える。

アウディのデザインアイコンはシングルフレームグリル

現在でもさらなる発展を目指して、日々の技術革新や研鑽を怠らない

色んな種類があるアウディの乗用車製造には、洗練されたデザインを始め最先端の技術が欠かせない。クワトロシステムやデュアルクラッチトランスミッション、手動変速機を自動制御に変えるS-トロニックを採用して革新的なテクノロジーを見せつけているので、車産業の未来に十分貢献していることも伺える。

ラリーなどのモータースポーツにも参加して、好成績を収めた

クワトロシステムが誕生してから自慢のレーシングカーを開発して、世界ラリー選手権スポーツカーレースにもたくさん参加している。その成績は連勝や3位以上の入賞は当たり前という素晴らしいもので、よりアウディの業績や技術革新をアピールすることができた。

ドイツ国内には、アウディの功績を称える博物館がそびえ立っている

アウディについてもっと知りたい人に嬉しい施設がある。それはドイツのミュンヘン州から北の位置にあるインゴルシュタット市に構えているアウディミュージアムという建物で、長い間受け継がれてきたアウディの歴史をより詳しく学ぶことができる。ここには今まで製造した数々の名車がずらりと展示され、一般向けに販売されなかったレーシングカー、画期的な印象を与えて発展に繋がったアウディ・クワトロなどが一際目立つ。もちろん休憩にぴったりなレストランや売店も完備して、近くにある工場の見学もさせてくれるので、1日中いても飽きない。

日本国内のアウディは、サービス部門で世界第一位を獲得した

日本で展開しているアウディジャパンは、車の販売もそうだがお客様へのもてなしを丁寧に行うよう心掛けている。もちろん購入にあたってのサービスや独自の技術をアピールすることも怠らない。その甲斐があって数年前には日本及び世界大会のテクノロジー部門で1位または3位を取得し、2018年に世界大会サービス部門で堂々と1位に輝いた。やっぱり世界で認められるとアウディにますます箔が付く。

戦前から血のにじむような研鑽をしていたBMWの歴史を振り返る

元々BMWは、航空機エンジンメーカーだった

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世界中で有名なドイツの自動車メーカー・BMWは結構歴史が長く、1916年に飛行機に欠かせない航空機エンジンメーカーとして誕生した。この頃は航空機飛行速度を上昇させるためのプロジェクトを起案して、独自のジェットエンジンを開発した。ちなみにBMWの名前はバイエリッシェ・モトーレン・ヴェルケ/バイエルンの発動機工場を意味する。

1922年になると、自動車やオートバイの製造に力を入れることを決めた

創業から数年経つと、BMWは自社のエンジンを含む自動車やオートバイの事業を手掛けることになり、一番最初はマックス・フリッツ設計のオートバイとなるモーターサイクル・R32が開発された。そこから徐々に4輪の自動車も製造して、成功へと繋がる生産台数を伸ばしたのだ。

いかにも時代を感じられそうな初の四輪車・Dixiが進出した

オートバイの事業がひと段落着いたら、1928年にDixi(デキシィー)と呼ばれる車を開発した。これは買収した工場にBMW独自の技術を取り込んで製造した、初めての記念すべき4輪車となり、他にもBMW 501 リムジンやBMW 700 S Cabなど現在では大変な希少価値のある車を製造していた。

後に自社のみで開発した3/20AM1が進出した

戦後初めての4輪車・501を開発・製造した。これは1964年まで続いたクラシカルな雰囲気の車で、1,971cc65馬力エンジンを搭載して快適な乗り心地と寒い時期にありがたいヒーター、安全への配慮が行き届いていたが車体が重くて速度はライバル車のベンツに劣っていた欠点もあった。

敗戦でドイツが東西に分断されて苦境に追いやられても、突破口を発見できた

実は戦争が終わった後のBMWは、生産規制を受けてしばらく自動車製造ができなかった。その上ドイツ自体がベルリンの壁で東西に分断されたので肝心の工場が壁に隔てられ離れ離れになってしまった。このままでは倒産も必至だと誰もが思った時、自転車や農作業で使う機械の製造に力を入れることにした。そしてあるモーターショーでイタリアの自動車メーカー・イセが開発したミニカー(マイクロカー)、イセッタに感銘を受け、それをライセンス生産することにして何とか倒産の危機を脱することができた。この後も小型自動車・1500(イノエクラッセ)で好調な売り上げを収め、よりBMWの素晴らしい業績を作り上げた。

今見ても新鮮なBMWのマイクロカーイセッタ

1970年代から今のBMWの基本となる色んなシリーズが続々誕生した

販売規模が拡大したBMWは、25年間も継続した航空機エンジンの生産を一切取りやめにしてますます自動車製造へ力を注いだ。まずはジュネーブモーターショーでBMW1600-2を発表してどんどん02シリーズを拡張していき、スポーツクーペと言えるBMW3.0CSを製造。そこから今でも続いている初代5シリーズ、世界初のターボエンジンを用いたBMW2002ターボ、初代3シリーズ、6シリーズ、7シリーズなどがある数多くのモデルを展開した。

そして企業及び法人は、日本へ進出してさらなる展開を目指した

ドイツやヨーロッパ各国で進展したBMWは1981年に日本へ進展することを決めた。当時の日本はバブル経済に入っていて、BMWの車はデザイン性と走行性能が優れているのでたくさんの人から人気を集めた。もちろん日本法人も年代と共に発展して高いビルにオフィスを構えて、車を展示できるショールームも完備した。

平成に切り替わった90年代、ロールス・ロイスと提携して事業を行う

1990年にイギリスの自動車メーカー・ロールス・ロイスと提携を結び、再び航空機エンジン生産を開始した。ロールス・ロイスの設計をBMWが行い、BMWの製造をロールス・ロイスが行うという方針を取っていて、アメリカ・サウスカロライナ州に工場を建ててさらに事業を発展させた。

買収したメーカーの車種だったMINI、ライレー、トライアンフを所有して独自に応用

イギリスの自動車メーカーであるローバー・グループを買収したBMWは本来の会社が手掛けていたMINI、ライレー、トライアンフにさらなる磨きをかけて名声を得た。特にMINIは独自の個性が光っていて、モータースポーツにも積極的に参戦してよい成績を収めているのが特徴で、2001年には新生が誕生した。

日本でも人気のミニは電気とガソリンで走るPHEVのラインナップもある

個性的なフロントやエンブレムを始め、颯爽と駆け抜ける喜びにこだわる方針を守る

日本でも深く馴染みがあるBMWは、誰もが憧れる外車メーカーで有名だが、ここまでたどり着くのは決して容易な道のりではないことを忘れないで欲しい。特にBMWの誇りと言えば、COBBYに紹介されている他では決して見られないキドニーグリルが付いたフロント部分、バイエルン地方の清々しい空をイメージした4等分の青と白の円を組み合わせたエンブレムが該当して、賞をもらえるくらいの車を日々開発して、性能や品質で革新技術を取り入れる姿勢が当てはまる。

マイカーブームに火を付けたトヨタ・コロナはまさに明るい太陽を兼ねていた

初代コロナは日産のダットサンと熾烈な争いを繰り広げていた

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トヨタ自動車が製造した乗用車の一つ・コロナはCOBBYで紹介している通りセダン、ハッチバック、クーペ、ライトバンといった種類があるが、1957年に誕生した初代コロナは同じく自社で製造しているクラウンとマスターの長所を融合させた4ドアセダンの小型車で、まるで昔の車らしい風情があった。さらにまたの名をダルマコロナとも言い、当時ライバル車だった日産・ダットサンに対抗するために生産された。なおエンジンは最初費用を抑えた安上がりなものだったが、マイナーチェンジで強力なOHV式水冷直列4気筒997ccのP型に変更した。

トヨタを代表するセダン コロナの歴代モデルをチェック

2代目も、ダットサンを制覇するためにデザインや性能にこだわった

今度はダットサン・ブルーバードに対抗するためにフルモデルチェンジが行われ、1960年に2代目が登場した。デザインは前回よりも直線を生かしたが4ドアセダンであることに変わりはなく、片方だけ固定したカンチレバー式のリアサスペンションを取り入れ、60馬力を発揮でいるR型1,453ccエンジンを搭載したおかげで日本グランプリで好成績を収めて女性からの人気も集めた。

コロナと並ぶ名車がトヨタのカローラ

高速道路での走行に対応できるように改良を加えた3代目

1964年に再びフルモデルチェンジされ、3代目に突入した。エンジンを収めているフロントノーズを丁度よく傾けてエンジンの改良も行いさらに初めてディスクブレーキやフルリクライニングができるバケットシートを取り入れ、開通したばかりの高速道路で走行テストを行い今までにない高速性能と耐久性を知らしめた。これによって発売開始から数か月でミリオンセラーを記録することができた。

ブラボーコロナとも親しまれた4代目は、サイズが一回り大きい

今度はサイズが一回り大きくなり4ドアセダン/4ドアバンのみになった。最初は高級車のコロナマークⅡを4代目コロナにしようと考えていたが、取りやめにした。エンジンは1500ccと1600cc、ツインキャブ仕様の3種類があって、日本で初めての電子制御装置も加えてボディ全体を直線でまとめる方針を固めたのが特徴。

ボディも拡大して安全面に気を配った5代目は排出ガス規制にも対応

1973年に5代目へ発展したコロナは、ボディを大きくするだけではなく安全性への配慮にも力を入れた。古いOHVエンジンを廃止し新たに2T型OHVエンジンを導入して出力を100馬力も発揮できるようにして衝撃吸収バンパーや視界をよくする方法(4ドアセダンのみ)も採用され、3年間も人気を確保した。
その上新たに出された排出ガス規制に対応できるように、エンジンを何度も変更して1977年まで続いた。

ブランド名がトヨペットからトヨタに完全に変わった時に6代目が誕生した

6代目に発展した1978年は、自社のブランド名をトヨペットからトヨタに変更した年でもある。肝心のコロナは土台を1から新たに設計し、コイルスプリングを独立させた挿すお炎暑ん、前輪のブレーキがディスクブレーキとなり、エンジンは排ガス規制に対応した5種類を用意し、25周年記念車のエクストラサルーンも同時に発売した。

7代目はよりスタイリッシュなイメージを生かして日産のブルーバードに対抗した

当時進出していた6代目ブルーバードに対抗するために、1982年7代目に進展した。シャープな印象の角ばったボディスタイルに変更し、土台は自社の車・カリーナと共有して今までにはない斬新なコロナを作り上げた。さらに搭載するエンジンは新世代型のレーザーシリーズを取り入れ、車種を大幅に変更したことでより認知度が上がった。

初めて前輪駆動を採用した8代目は搭載エンジンを一気に増やした

8代目コロナの特徴は、何と言っても初めて前輪駆動を取り入れて5ドアハッチバックでスタートを切ったことが当てはまる。また肝心のエンジンは直列4気筒SOHC1832ccから徐々に増えていき、1S-ELU型エンジンを搭載するスポーティグレード・1800SX-Rも登場したことも有名だ。

9代目にはトヨタの累計販売1000万台達成を記念したモデルもある

昭和と平成の境目となる1987年から1992年まで活躍した9代目は、ボディサイズを若干拡大し性能及び積載性が向上した。セダンには4WDが加わり雪道でも安心して走行できるようになったのであちこちのトヨペット店で累計1000万台もの販売を達成し、それを記念した限定車・コロナスーパールーミーも発売した。

安定した走行ができる4WDを搭載した10代目は前後の席やトランクのスペースを広げている

あれだけの業績を収めたコロナは、留まることなくついに10代目へと進展した。1992年より強くなったフルタイム4WDを採用し、インテリアのスペース及び荷物を積むトランクスペースを拡大して、乗り降りしやすいようにドアステップを低くしたことを始め、エンジンは全て3種類あるツインカム16バルブを採用したことが自慢。

コロナプレミオという名前に代わって安全性とコストダウンを図った11代目で歴史を閉じる

1996年、いよいよ真骨頂の11代目に突入した。今度はABS(アンチロックブレーキシステム)、前の席にSRSエアバッグを装備する、雪がたくさん降る地方に向けてフォグランプを搭載する、衝撃吸収ボディで安全性を高めたことが最大の醍醐味。もちろんエンジンも従来のものに劣らない燃費を向上させるリーンバーンシステムを採用して、この代からコロナ生誕40周年を祝う特別記念仕様車も製造された。
これだけ名を馳せたコロナは2001年に完全生産終了したが、名前の通り、トヨタにとって太陽の周りから出る光を果たしたことを忘れてはならない。

大地を勇ましく駆け抜ける姿がカッコいい日産の四輪駆動車・サファリ

日本のクロスカントリー型四輪駆動車を世に広めたサファリには、こんな魅力がある

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剛性が強いボディと荒れたオフロードでも走行できる性能を持つ日産・サファリは、スワヒリ語で狩猟・探検という意味の名前を持ち、長い間多くの人に役立っていたクロスカントリー車である。その特徴は従来通りの車では決して見られないような、野生の力が込められているようにも見える。

元々は、同じく日産で開発した4WD・パトロールが基本となっている

サファリの原型は、1951年に日産で生み出されたジープのような4WD・パトロールが当てはまる。これは左右にドアがなく直列6気筒ガソリンエンジンを搭載して、動力を分配するトランスミッションや副変速機も加わっていたので、のちに生産されるサファリの基本構造にありがたいものとなった。

発売されていた当時はトヨタランドクルーザーといいライバル関係だった

この頃のクロスカントリー車はサファリだけにとどまらず、COBBYでも人気のトヨタ自慢のランドクルーザーも目立っていた。どちらも劣らない性能や力強い走りを見せつけたので、市場では熾烈な争いを繰り広げた。今でも中古車売り場でランドクルーザーとサファリが並んでいたら、どちらにしようか悩む人も多い。

世界的に人気が高いランドクルーザーの歴史

消防、警察、JAF、軍隊など、色々な機関で役立っている

何とサファリは一般の家庭に向けた乗用車だけではなく、火事の時に欠かせない消防車、災害時で役立つ救援の車、警察のパトカー、高速道路外車、ロードサービスなどの業務を行う日本自動車連盟JAF国際連合、紛争地域でものすごく活躍している。その理由はやはり強い馬力を発揮でき、コンクリートで覆われていない荒れた道路も楽々進めることが挙げられる。

初代の頃から利便性や強い走りを果たしていた

1980年に初代・160型系が登場した。基本的な構造は4WDでどちらも最高出力95psが可能な1.8L直4SOHCガソリンNAのL18型と3.2L直6OHVディーゼルNAのSD33型エンジンが使われ、海外へ向けた輸出モデルもある。のちのマイナーチェンジでディーゼルエンジンに統一されたが、ターボチャージャーや5速MT仕様も加わり、一番後ろのドアは両開き扉になっているのでたくさんの利便性を生み出した。これを応用させて、先ほど記述したように色んな企業団体や人を救うのに役に立つ車が開発された。

色んなボディバリエーションを取りそろえた2代目は、より強い馬力を発揮

2代目・Y60型系にモデルチェンジしたサファリは、このために開発したフレームとサスペンションを取り入れているが、初代の部品をそのまま生かしている。今度も悪路を走破できるが舗装された道でも走れるオンロードやより向上した快適性が加わった。さらに4.2L直6OHVディーゼルNAのTD42型エンジンに切り替えて、駆動方式は前回と同じ4WDとなり、ATやディスク式ブレーキが装備された。種類もサファリバン・エクストラやハードトップ、スピリット、フォード・マベリック(オーストラリアのみで展開)が揃っている。

ボディサイズを拡大して新エンジンを搭載した3代目で、今までにない性能をアピール

オーストラリアの広い大地や中東砂漠を駆け抜けることも視野に入れた3代目は、1997年にモデルチェンジが行われたことで誕生した。搭載エンジンは日産が開発した直列6気筒のTB45E、TD42T、RD28ETiが最初に使われ、後に直列4気筒DOHC・直噴ターボディーゼルエンジン・ZD30DDTi型に変わった。2002年に日本国内での生産販売を休止したが、マイナーチェンジで再び造られることとなり、今度は直列6気筒DOHC TB48DEエンジンとオートマチックトランスミッションを融合させ、これまでにない高い性能を取り込んで、サファリの素晴らしさをアピールした。そして2007年、あんなに力強く大地を駆け抜けていたサファリは、終わりを告げる。

RVブームで人気になったテラノ

高いクオリティを感じられるたくさんの機能や装備で、サファリの地位を確立した

今回紹介した日産・サファリはどこから見ても力強いボディと計り知れない走行性能、オンロードやオフロードにも対応できる4WD、環境に配慮している排出ガスのクリーン化、エアバッグの装備、内部にも収納場所となるラゲッジスペースや道案内に役立つナビゲーションシステムが使われているので、まさに日産が誇る車の名誉となった。

販売を完全に終了しても、復刻を望む声が上がっている

日本国内でサファリの生産が終わってしまっても、原型の車・パトロールは海外で走り回っている。あの独自の走りやどんな道でも対応できる性能は多くの人の心をわしづかみにしたので、終了は非常に名残惜しいものだった。中古車市場でもごくまれにしか見かけなくなったので、また日産で新車サファリを開発してくれないだろうかと強く切望する人も、少なくないはずだ。そして今度進出する時は衝突を避ける安全機能、低燃費の実現を加えて欲しい。

毎日乗って日常を豊かにすることを趣旨としたマツダの軽自動車・キャロル

初代キャロルは軽自動車で初めて4ドアセダンモデルを取り入れた

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マツダが販売する軽自動車の一種・キャロルは英語で賛美歌という意味の名前を持ち、1962年に誕生して現代まで存続している360cc車でもある。今のキャロルはスタイリッシュなハッチバックで日々の日常に馴染みそうだが、一番最初に登場した初代は軽自動車なのに2ドアのみならず4ドアセダンモデルも取り入れたことや、360ccでも力が発揮できるよう水冷 4ストローク 直列4気筒 OHVエンジンを搭載したことで、登場から間もなく大ヒットを収めた。

1962年には三菱も軽自動車規格のミニカを発売

丸みを帯びたかわいらしいハッチバック形式が特徴の2代目

1989年にモデルチェンジを行い、2代目になった。今回の特徴はスズキのアルトにも使われているエンジンやプラットフォーム(部品の組み合わせ)を使い、左に2つ、運転席を含む右に1つドアがある3ドアハッチバックを取り入れた。さらにこの頃はCOBBYでも紹介する通り軽自動車の規格が変わったので52馬力が出るF6Aエンジンが搭載された。さらに全体は以前とは異なる独自のデザインを生かしてより個性をアピールした。

日本だけで販売している軽自動車の変遷を紹介

3代目は先代から受け継がれているエンジンとボディを大切にして男性の心もつかんだ

前回の2代目は丸みを帯びていて女性らしいデザインだったが、1995年に登場した今度の3代目は2代目のデザインを大切にしつつも少し印象を変えている。もちろん土台及びパワートレインもスズキ・アルトから受け継いだが、ボディを男性でも使えそうなデザインに変えて名前もオートザム・キャロルに変えたことが主な特徴だ。

規格を変更してスズキ・アルトと一緒に製造された4代目は、低燃費も実現

4代目に進展しても、スズキ・アルトと同じ部品で構成していることに変わりはない。さらに今回はコストを減らすためにスズキの工場でボディ以外の部品を製造することも決めた。今まで扱わなかった4MTが復活し、全ての車種にSRSエアバッグが使われ、低燃費を可能にできるVVTエンジンと4速AT、快適装備またはDOHCエンジンを搭載したグレードを用意した。なお発売期間は1998年から2004年までだった。

フルモデルチェンジで5代目になったキャロルは、より進化した印象がある

2004年になると色々お世話になったアルトがモデルチェンジすることになって、それと同時にキャロルも5代目に突入した。ボディに生かされているフロントグリル及びエンブレムは斬新なものへ変えられ、スズキの軽自動車にはない特色を作り上げた。電動格納式カラードリモコンドアミラー、ダークティンテッドガラスを備えた特別仕様車・G Specialも登場し、よりマツダの名誉になるよう製造した。

フロントマスクに5ポイントグリルを採用した6代目は、実に気合が入っている

より磨きをかけた6代目の特徴は、正面にマツダ特有の5ポイントグリルを使って副変速機構付CVTやVVT仕様エンジンを取り入れたことが挙げられる。さらに低燃費を実現したキャロルエコも追加され、ボディカラーのバリエーションも増えて展開したことから、2009年の誕生から2015年まで継続した。

軽快な走りと高いコストパフォーマンスが特徴の7代目は、現在にも至っている

6代目が発売されている2014年に計画を立てて、2015年に7代目にフルモデルチェンジして発売した。ボディも所々に独自のデザインを生かし、強さを高めて軽量化を図り、エンジンは既に使われていたR06A型を改良して、平成27年度燃費基準+20%を達成することができた。乗り心地や静粛性、運転のしやすさにもこだわったおかげで、現在でも当たり前に使われ飽きられることなく継続している。

キャロルを自分オリジナルにするカスタムは、結構充実している

マツダのキャロルは、そのまま乗っても構わないがパーツを加えて自分好みにカスタムする人もたくさんいる。具体例を挙げると正面のバンパーだけ違う色のものを使う、タイヤのホイールを凝ったデザインにする、車高を上げたり下げたりして独自のカッコよさを出す、ルームランプをLEDにする、目的地まで地図を示すカーナビを取りつけるなど、とにかく自由だ。

何と初代は、ボロボロになってしまってもレストアで現役と同じ走りを可能にした

初代キャロルはもうほとんど見かけなくなってしまったが、何と大切に保管されていた。車検が完全に切れてしまって35年経ったその姿は、内部が結構錆びてボロボロで、タイヤを支える軸やエンジンルームももう動けないくらい古かった。これをフルレストアで新品同様に修繕するのは、結構手間や時間がかかって難しいことだが、一歩一歩手順を踏まえて錆を落とし部品を交換することで誕生してから道路を駆け抜けたあの姿がよみがえった。今ではもうハッチバックのものが主流となったキャロルだが、歴史の第一歩を築いた4ドアセダンタイプの初代も決して忘れて欲しくない。

一世を風靡した日産のシルビアは高級クーペやスポーツカーへと発展した

若者向けのデートカーにもふさわしい2ドアクーペ・シルビア

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日産自動車で生産されていた往年の車・シルビアは2ドアクーペやコンパーチブル、3ドアハッチバックの種類のみだが、若い人を中心にヒットしてモーターレースなどでも素晴らしい成績を収め、長い間受け継がれてきた名車と言える。ちなみに名前の意味はギリシャ神話に出てくる清楚な乙女の名前や、ラテン語で森という単語から来ている。

初代・CSP311型は丁寧に研磨されたダイヤモンドのような輝きがある

1964年の東京モーターショーで発表された後、1965年に初代シルビアが発売された。シャーシ(土台)はダットサン・フェアレディと同じだがSUツインキャブ付R型1,600cc OHVエンジンを搭載し、まるで心を込めて丁寧に磨かれたようなクーペボディを醸し出している。ちなみにこのボディ全体に生かされているデザインはカットされた宝石を連想させるので「クリスプカット」とも呼ばれた。しかし価格はフェアレディよりも高かったので、たった3年間で554台しか売れなかった。

ちょっとボディデザインを斬新なものに変えた2代目・S10型は北米スタイル

初代の名誉を挽回するために、1975年2代目が登場した。この時の名前はニューシルビアとなっていて、ボディデザインもがらりと刷新した。さらには排出ガス規制対策のために電子制御式燃料噴射エンジン・L18Eを搭載し、とにかく全てを今までのイメージから脱却させることを図った。だけどこの時はライバル車となるトヨタセリカが登場して、あまりにも斬新すぎたデザインは多くの人から好かれなかったので、販売台数は結構芳しくなかった。

3代目・S110型に突入して、やっと商業でヒットを収めた

ハードトップハッチバックの2種類がある3代目シルビアは、姉妹車のガゼールも開発して今度こそこの車を世に知らしめるために製造された。エンジンは改良した直4SOHCのZ型、1.8Lシングルキャブレター仕様のZ18型、同燃料噴射仕様のZ18E型、2L燃料噴射仕様のZ20E型が用意され、4速及び5速MTと3速トルコン式ATのトランスミッションも加えて、夜で走る時にありがたいトータルイルミネーションシステムも導入した。デザインも当時の流行を押さえていたので、毎月の販売台数は4000台以上は当たり前の記録をはじき出し、もはや今までにないくらいの大ヒットとなった。

強い馬力を発揮して自社の意欲を表明して4代目・S12型

とうとう4代目に進展したシルビアは、リアサスペンションが独立して車体に格納できる前照灯・リトラクタブル・ヘッドライトを取り入れたのが特徴。エンジンも自然吸気やターボを搭載した特別なものを設定し、現在では当たり前となっているキーレスエントリーシステムも加えたことで、これも多くの人の心をつかんでとうとう特別仕様車・50アニバーサリーバージョンも生産した。

バブルの時代に誕生して最大のヒット作となった5代目・S13型

1988年、日本はバブル景気に突入した。その頃に誕生した5代目シルビアはアートフォースとも呼ばれ、これまでにはない未来的なデザインと後輪駆動のスポーティークーペを採用したおかげで、カップルでドライブに使うのにふさわしいデートカーとして名を馳せた。車はさらに進展してサーキットや峠を駆け抜けることも増え、グッドデザイン大賞を受け取った実績もある。これだけ好評が集まったので歴代の中でも群を抜いたヒットを記録した。

デートカーとしても人気の歴代オープンカー

5年ぶりのフルモデルチェンジを行って、6代目・S14に突入した

先代のものをそのまま流用したプラットフォームで、1993年に6代目が誕生した。ボディは一回り大きくしてエンジンの性能をパワーアップして、エアバッグを全車に乗せることを義務付け、特別仕様車・Q'sエアロスポーツも登場した。そして海外への輸出に向けた特別仕様車も開発し、より充実した展開を見せてくれた。

シルビアの真骨頂にふさわしい7代目・S15型で完全に終わりを告げる

1999年、6代目の不評を克服するためにグレードを変更して7代目に突入した。もちろんエンジンにもさらなる改良が加わり、サイド面でのプレスラインにも特色を生かした。その上限定モデル・オーテックバージョンや屋根が電動で開閉するクーペカブリオレも加わり、どんどん軌道に乗っていったが排ガス規制が新たに提出されたことによって2002年に生産を終了して、シルビアは27年間も続いた歴史に幕を下ろした。

2019年に、シルビアが新型となってよみがえる噂がある

シルビアが復活?噂の真相とは

COBBYによると日産の業績に貢献したシルビアは、2ドアクーペを維持して新しい性能を加えて2019年によみがえると言われている。やっぱり発売が終了して何年経っても、ボディ独自のカッコよさや走りの性能で多くの人を魅了したので、だいぶ自動車の技術が進んだ現在に復活しても全然違和感はない。

日産・サニーを発展させて開発したステーションワゴン・サニーカリフォルニア

まるでリムジンのような長さを持つサニーカリフォルニア

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日産自動車自慢のセダン車・サニーはクーペ、バン、エクセレント、ハッチバックなど多岐に渡っているが、ステーションワゴンに分類されるカリフォルニアも忘れてはならない。この車の特徴は通常のセダン車より車体が長く、荷物をたくさん積めることができ、さらにはアウトドア活動に打ってつけとも言われている。なおプラットフォーム(土台)は普通のサニーと共有しているが、ボディ全体がなかなかおしゃれにまとまっているのが唯一の特徴。

5ドアハッチバックセダンとして発売されていた初代は、サニーの進展を担った

1979年に誕生した初代カリフォルニア・B310型は、サニーシリーズの中で初めてステーションワゴンの役割を果たした。しかし厳密にいえば5ドアハッチバックセダンに分類されるが、エンジンを積むフロントノーズをまっすぐではなく少し斜めにして、当時はやっていた四角形のライトを正面に取り付けた。気になるエンジンは直列4気筒OHV、EGI仕様1488ccで、ボディの外観は黄色と木目調の柄が付いたウッドパネルを融合させたものもある。

初代カリフォルニアが誕生する9年前の1968年に販売しているハコスカとは?

駆動方式及びエンジンを変更し、タイミングベルトを取り入れた2代目

今までは後輪駆動(FR)だったが、1981年2代目・B11型に変遷すると前輪駆動(FF)に変わり、エンジンも4ストローク機関・OHVのA型系から新たに開発したSOHC8バルブエンジン・E型系1300 ccに変更され、いくつもの部品が組み合わさっている軸・カムシャフトにはタイミングベルトを追加している。この当時は日産が誇っていたダットサンを完全に廃止して、「日産」ブランドへ統一することを固く決めた。さらに翌年になると初めてディーゼルエンジンを採用し、61馬力を発揮できるようになった。その後もいくつかマイナーチェンジが行われ、より上級モデルに近づいた。

またの名をトラッドサニーとも言う3代目は、フルオート・フルタイム4WDも追加

とうとう1985年で3代目・B12型に突入した時は、「トラッドサニー」という愛称が付き、今度はボディ全体に直線を生かしてシャープな印象を作り上げた。室内はリクライニング機能が付いたシートが備わり、荷物を積むラゲッジスペースは今までより容積が小さくなっている。エンジンはガソリンとディーゼルの2種類があって、サスペンションはパラレルリンク式ストラット/コイルの独立懸架に変更された。さらにフルオート・フルタイム4WDやトリプルビスカス式4WD車も追加され、より長距離を走れるワゴンモデルに進展したことが伝わってくる。

4代目はSUVでよく見られるハッチバック式の形状になっている

平成になってから間もない1990年に、4代目・Y10型が登場した。今度の形状は今までを覆すかのような、現在主流になっているSUVハッチバックとほぼ同じになっているのが特徴。さらにエンジンはDOHC・キャブレターのGA15DSに絞られ、4WD形式もそのまま受け継がれている。マイナーチェンジによってバンパーなどのデザインを変え、軸の回転数を示すタコメーターも備えられ、衝撃吸収ステアリングパッドを取り入れたことでますます独自の性能を確立した。最高出力が94psから105psに上がり、全車に運転席SRSエアバッグを標準装備したことも進展へと繋がり、1996年に生産・発売を終了して17年間も続いた歴史に幕を下ろした。

サニーカリフォルニアは、同じステーションワゴンの日産・ウイングロードに受け継がれた

あれだけ発展して名を馳せたサニーカリフォルニアは、1996年に終了してしまっても同じく日産で開発したADワゴンと統合して「ウイングロード」というステーションワゴンへ生まれ変わった。これもボディデザイン全体が大きくがらりと変わり、今まで縮小していたラゲッジスペースが大きくなって、駆動方式もフロントとリアで異なるサスペンションを取り入れ、4WDの要素も加えた。ちなみにウイングロードは初代から3代目まで継続され、パワートレインはSR18DE型、GA15DE型の各ガソリンエンジンとCD20型ディーゼルエンジンの3機種があるエンジンから、直列4気筒DOHCガソリンエンジンで、QG15DE型、QG18DE型、可変バルブリフト及びバルブタイミング機構、直列4気筒DOHC 1.5L HR15DE型、および1.8L MR18DE型へと変遷していった。しかし2018年にはCOBBYで取り上げられた通り、残念ながら生産終了した。

サニーカリフォルニアの後継ウイングロードも2018年に生産終了になってしまった。

生産販売されていた当時は、このようなオリジナルカスタムで楽しんでいた

サニーカリフォルニアはそのまま乗っても構わないが、自分好みにパーツを加えてカスタムしても悪くない。パーツは主にホイールやフロントリップ・ハーフスポイラー、ヘッドランプが挙げられるが、中にはLEDやエアロパーツを付け加える人もいる。

当時その車を愛用していた人は、こんな感想を述べている

今では殆ど姿を見なくなったダットサン・サニーは当時乗っていた人たちに強い印象を与え、たくさんの思い出を与えた。バブル景気の頃に購入して気が付けば7万キロも駆け抜けていた、結婚してしばらく経ってから購入して、家族でお出かけする時に使っていた。広い車内にたくさん荷物を積めることもできた。などこんなに思い出が発表されている。